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うららかとルポルタージュ 舞台美術

BUoY,Tokyo 2021

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 上京してから、よく演劇を観に行くようになった。役者の動きが目から、役者の声が耳から、同時に入ってくる。詩とか小説に興味がある延長でなんとなく好きになったのだけど、目の前に具体的な動きや身体があるから、詩とか小説と比べてペースを変えずに、リアルタイムでの解釈を私に要求する。一緒に演劇を見に行っていた友人はいつしか劇団を旗揚げし、演劇を演出するようになって、舞台美術を担当してくれないか声をかけてくれた。夏の終わり頃、戯曲を受け取った。断片的な言葉の連続で簡単に読み進められない。文脈の折り込まれた言葉の説明を受けて読んでも、どのように解釈するか相当苦労した。舞台美術は戯曲に書いてあることがなんとなくわかってから取り組むものだと思っていたから。

 でもある時、空間を先に立てようと思った。これは演出の友人から「人間が主になるというよりは、舞台美術が主になって、そこに合わせて稽古が進んでいく感じになると思う」と言われたのがきっかけでもある。それから、北千住BUoYという会場で上演すること、この場所で起こる演劇の1回性を大切にしようと思った。BUoYは、1964年に建てられた築50年超の建物で、現在劇場として使われている地下には銭湯があった。近年20年間は廃墟のままで、会場の床は指でなぞると真っ黒になる。銭湯としてつくられたものだから、可愛いかたちの湯船が部屋の端に残っていて、湯船を舞台にする公演も多いらしい。しかし湯船は全体の面積のわずか一部で、今は浴場も脱衣所も壁が取り払われ、分け隔てない一つの巨大な空間になっている。そこにむき出しになった大きな柱が中心に立っている。50年の時を経てひとつになったこの部屋を、区切ることなく舞台・客席を配置したいと思った。そのために、部屋の角から角へ対角線上に舞台と客席を作った。そうすると客席の正面に大きな柱が現れる。柱によって、舞台上の見えない部分と、見える部分が生まれ、客席から見えない部分はそれぞれ異なる。正面性のある古典的な舞台づくりのように見えて、最前列中央が一番見やすいというような当たり席は存在しない。その柱の周りでいま、演劇が起こっている。 稽古が進むにつれて、文字で読めなかった言葉が、聞けるようになった。聞いたことのない言葉が、自分の聞いたことのある言葉に置き換えられ、勝手な解釈が行われている。それは心を許した人同士でしか起こり得ないコミュニケーションと似ている。側から見たら、辻褄の合わない会話のように聞こえるような。3人で住み始めてから、よく会話をするようになった。洗濯物を干しながら設計の話をしたり、野菜を切りながら近況報告ができる。行為と発話が離れた状態で、それら同士をどのように解釈するか。そんなことに悩む時間は今の生活にあるだろうか。(福留愛)

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